その5

 

イモムシの教え

 

 イモムシとアリスはしばらく黙って見つめ合っていました。ようやくのことでイモムシは口からキセルを離すと、気のない、眠そうな声でアリスに話しかけました。

「だぁれ、あんた?」

 のっけからこれでは話がはずみそうにもありません。アリスはためらい混じりに答えました。「私――よく分からないんです、ちょっと今は――一応、今朝起きた時に誰だったのかは分かるんですけど、そのあと何度か変わっちゃったみたいなんです」

「それ、どういう意味?」イモムシはびしりと言いました。「そもそもの、あんたの言いたいことをはっきり言え!」

そもそもの私の言いたいことって、私にははっきりとは言えないんです、ごめんなさい。私がそもそもの私じゃないものだから、ね」

「ね、じゃ分かんね」

「申し訳ないですけど、これ以上はっきりとは言えないです」アリスはとても礼儀正しく答えました。「だって私自身、分からないんです、そもそもね。それに一日に何度も違う大きさになるのって、とってもややっこしいから」

「そんなこたない」

「えぇ、もしかしたら、あなたはまだそう感じたことがないかも。でも、サナギにならなくちゃいけない時――いつかなるでしょ――そしてそのあとちょうちょにならなくちゃいけない時、ちょっと変な感じがするんじゃないかと思うんですけど、どう?」

「まるで」

「あぁ、もしかしたら、あなたの感じ方は違うのかも。ただ、私に言えるのは、私ならとても変な感じがするだろうな、っていうことです」

「あんたなら!」イモムシは馬鹿にしたように言いました。「だぁれ、あんた?」

 これで話はまたふりだしに戻りました。アリスはイモムシのそんなひどく無愛想な物言いにちょっと腹が立ったので、姿勢をしゃんとすると大まじめに言いました。「まず、ご自分がどなたなのかおっしゃるべきだと思います」

「なぜ?」

 これまた困った質問です。そしてこれといった理由もまるで思いつかないし、イモムシもずいぶんと虫の居どころが悪いみたいだったので、アリスは背を向けると立ち去っていきました。

「戻ってこい!」イモムシが呼び止めました。「大事な話がある!」

 これは間違いなく期待できそうです。アリスは回れ右して戻ってきました。

「かんしゃくを起こすな」とイモムシは言いました。

「それだけですか?」アリスはどうにか怒りをこらえて言いました。

「いや」

 待ってみた方がいいかも、とアリスは思いました。ほかにすることもないし、それにもしかしたらやっぱり何かいいことを言ってくれるかもしれないし、と思ったんです。しばらくの間、イモムシは何も言わずに煙草をプカプカやっていました。でも、ようやく腕組みを解いてまた口からキセルを離すと、こう言いました。「つまり、あんたは変わったと思ってんだな?」

「だと思うんです。前みたいにものが思い出せないし――10分と同じ大きさでいられないの!」

どんなものが思い出せない?」

「そぅ、『みずからをいましめて』を暗唱しようとしたんですけど、全部違っちゃったの!」アリスはなんとも悲しげな声で答えました。

『幸福なる老境』を暗唱してみな」

 アリスは両手を組んで、暗唱を始めました――

 

「我が父よ

 ご老体にもかかわらず

 髪の白さも気にかけず

 しじゅうごじゅうの逆立ちは

 如何なる故の振舞ぞ」

 

「我が息子

 脳への不安が生ずるも

 不安は脳より生ずもの

 その実体が空なれば

 幾度やろうと構うまい」

 

「我が父よ

 繰り返せしがご老体

 その上肥満も限界点

 それにもよらぬバク転は

 如何なる故の振舞ぞ」

 

「我が息子

 秘訣は秘伝の塗り薬

 未だに手足は蛸の様

 一箱銀貨が一枚じゃ

 二箱買うてはみんかいな」

 

「我が父よ

 お歳とあれば顎もやわ

 脂身程度が関の山

 骨ごとガチョウをペロリとは

 如何なるゆえの振舞ぞ」

 

「我が息子

 法律かじりて顎使い

 女房と議論の故なれば

 さながら鋼と鍛えられ

 我が人生をも噛みしめん」

 

「我が父よ

 お歳とくれば両の目も

 衰えぬ筈もあるまいに

 ウナギを鼻で立てるとは

 如何なる故の振舞ぞ」

 

「バカ息子!

 三度も答えりゃ充分じゃ

 勿体つけるな、大たわけ

 馬鹿にしよるも程がある

 とっとと失せろ、蹴落とすぞ!」

 

「合ってない」とイモムシが言いました。

ところも、あるみたい」アリスはおずおずと言いました。「言葉がいくつか変わっちゃって」

「はじめから終わりまで間違ってる」イモムシはきっぱりと言いました。そしてしばらく沈黙が流れました。

 まず口を開いたのはイモムシでした。

「どれぐらいの大きさになりたい?」

「あ、大きさにはこだわってないです」アリスはあわてて答えました「ただ、そんなにしょっちゅう変わりたくはないものでしょ」

知んね

 アリスは何も言いませんでした。生まれてこのかたこうもいちいち否定されたことはなかったので、今にもかんしゃく玉が破裂しそうだったんです。

「今は満足?」とイモムシが言いました。

「そぅ、もうちょっと大きくなりたいですけど、もし、よろしければ。8センチなんて、あんまりみじめな背たけだし」

「まったく申し分のない背たけだ!」イモムシは怒って言い、すっくと立ち上がりました(きっかり8センチの背たけでした)。

「でも、私は慣れてないんだもの!」かわいそうに、アリスは情けない声で訴えました。そしてこっそり思いました。「みんなこんなに怒りっぽくなきゃいいのに!」

「じきに慣れる」イモムシはそう言うと、キセルをくわえてまた煙草をくゆらせ始めました。

 今回はイモムシがまた話をする気になってくれるまで、しんぼう強く待ちました。1、2分でイモムシは口からキセルを離すと、一、二度あくびをして、ブルブルッと体をふるわせました。それからキノコをおりると、草むらの中へはっていきながら、ただこう言いました。「片側で伸びるし、反対側で縮む」

何の片側? 何の反対側?」とアリスは思いました。

「キノコの」とイモムシが言いました。まるでアリスが口に出して聞いたみたいです。そして次の瞬間には姿を消していました。

 アリスは少しの間、思案顔でキノコをじっと見ていました。どこがそれぞれの側なのか見分けようとしていたんです。でも、キノコはまんまるだったので、これはかなりの難問でした。それでもついにはかさのまわりに伸ばせるだけいっぱいに両腕を伸ばすと、それぞれの手でかさのふちを一かけらずつ、むしり取りました。

「さぁ、どっちがどっち?」そうつぶやくと、ためしに右手側のかけらをちょっとかじってみました。次の瞬間、あごを下からガンッ、と殴られたみたいに感じました。あごが足にぶつかったんです!

 あんまりいきなりだったので縮み上がってしまいましたが、ぐずぐずしてる暇なんかないと思いました。どんどん縮んでいくんです。ですからすぐに反対側のかけらを食べにかかりました。あごが足にぴったり押しつけられていたので口を開けるのもままなりません。それでもやっとのことで口を開け、左手側のかけらをなんとか一口飲みこみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よぉし、やっと首が動くようになった!」アリスははずんだ声で言いました。でも、次の瞬間にはうろたえた声に変わりました。肩がどこにも見あたらないのに気がついたんです。下を見ても見えるのはとほうもない長さの首だけで、はるか眼下に広がる青葉の海から茎が一本、にょっきりと伸びているみたいでした。

「あの一面の緑のものはいったい何だろ? それに私の肩はどこに行っちゃったの? それに、あぁ、かわいそうな手。どうしてあなたたちが見えないの?」そう言いながら両手をあちこちに動かしてみましたが、遠く離れた青葉の間がかすかに揺れる以外には何も起こらないようでした。

 手を目の前に持ち上げることはできそうになかったので、アリスは頭の方をそちらまで下げてみようとしました。すると実に嬉しいことに、首はどちらの方にでも楽に曲がりました。まるで蛇みたいに。アリスは首をくねくねくねらせて、美しいジグザグ模様を描いておりていくことに成功し、青葉の間にもぐりこもうとして、なんだ、これって私がさまよってた森の木たちのてっぺんなんだ、と気がつきましたが、ちょうどその時です。シーッ!という鋭い声に、あわてて首をひっこめました。大きなハトが一羽、アリスの顔をめがけて飛んできたんです。そして羽でビシビシとアリスを叩くんです。

「この蛇ィ!」ハトは金切り声で叫びました。

「私、蛇じゃないわ!」アリスはフンガイして言いました。「邪魔しないで!」

「この蛇、蛇でしょうに!」ハトは繰り返して言いました。でも、はじめよりも元気のない声で、さらにすすり泣き混じりに言いました。「何もかもためしたのに、何一つ気に入らないみたいなんだから!」

「何のことを話してるのか、ちっとも分からないわ」

「木の根元もためしたし、川辺もためしたし、生け垣もためしたのに」ハトはアリスに構わずしゃべり続けます。「あの蛇のやつら! あいつら満足ってもんを知りゃあしない!」

 アリスはますますわけが分からなくなりましたが、ハトさんが話し終わるまでこれ以上何を言っても無駄だな、と思いました。

 「まるで卵をかえすだけじゃ苦労が足りないってばかりに。だけどあたしゃ昼も夜も蛇に用心してなくちゃなんないんだ! そうよ、この三週間、一睡もしちゃいない!」

「とてもお気の毒ね、ずっと困ってたなんて」とアリスは言いました。ハトの言いたいことが分かってきたんです。

「しかもちょうど森で一番高い木を選んだ時に」ハトはなおもしゃべり続け、どんどん金切り声になっていきました。「そしてちょうどあたしがやっとあいつらから逃れられるって思ってた時に、よりによって空からニョロニョロとおりてくるんだから! あぁもう、この蛇!」

「でも、ほんとに蛇じゃないんだってば! 私は――私は――」

「ほお! おまえさんは何なんだい? 何やらでっちあげようなんてお見通しだよ!」

「私――私は、女の子よ」アリスはいささか自信なさげに言いました。その日何度も変わってしまっているのを思い出したんです。

「まったく、らしいお話だこと!」ハトは心底軽蔑したように言いました。「これまで何人も女の子は見たけど、そんな首したのなんか見たことないよ! 駄目駄目! おまえさんは蛇だよ。それに違うったって無駄よ。お次は卵を食べたことなんてありませんとでも言うんでしょう!」

「卵を食べたことはもちろんあるわ」とアリスは言いました。とても正直な子なんです。「でも、女の子って蛇とおんなじぐらい卵を食べるのよ」

「信じらんないね。でも、もしそうなら、そんなら女の子も蛇みたいなもんだ。そうとしか思えないね」

 これは思いもよらない意見だったので、アリスは少しの間黙りこんでしまい、それをいいことにハトは追い打ちをかけました。「おまえさんは卵を探してる。それぐらいちゃあんと分かってんだ。だからおまえさんが女の子だろうと蛇だろうと、あたしにとっちゃたいした違いはないね」

私には大違いよ」アリスはあわてて言いました。「でも、卵なんて探してないのよ今は。それにもし探してても、あなたのは欲しくないわ。生のは好きじゃないもの」

「そうかい、じゃあどっかに行ってよ!」ハトはムッとしたように言い、巣に戻りました。アリスは木々の間に頭をおろしましたが、そうすんなりとはいきませんでした。首が枝にからんでばかりいるので、時々止まってほどかなければならなかったんです。しばらくするとまだ両手にキノコのかけらを持っているのを思い出したので、今度はとても慎重にかじっていきました。はじめは片方を、次にはもう片方も、と小さくなり過ぎたり、大きくなり過ぎたりもしましたが、ついにはいつもの背たけまでもっていくことに成功しました。

 あんまり長いことまともな大きさから遠く離れていたので、はじめはどうもしっくりきませんでした。でも、しばらくすると慣れ、いつものようにひとりごとを言い始めました。「さぁ、これで計画の半分が済んだんだ! なんてややっこしい変わり方だろ! 次から次へとどうなっちゃうか全然分かんないし! でも、ちゃんとした大きさには戻ったわ。次にすることは、あの素敵なお庭に行くこと――どうすれば行けるのかな?」そう言った時、いきなりパッと開けたところに出ました。1メートルちょっとぐらいの高さの小さな家が建っています。「誰が住んでるにしても、こんな大きさで会っちゃダメね。だってきっとびっくりしておかしくなっちゃうわ!」そう思ってアリスは右手側のかけらをまたちびちびとかじり始め、背たけを20センチぐらいに縮めてから、ようやくその家に近づいていきました。

 

 

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