CHAPTER 6. PIG AND PEPPER

 

�� この章題が P― and P― になっているのはすぐに分かると思うが、それを意識した訳としては、芹生一氏の「ブタとフライパン」、木下信一氏の「仔豚と胡椒」ぐらいのようだ。

 宗方あゆむ氏の「コショウとくしゃみブタ」も、カ行で合わせたのかもしれない。

 2016年に芦田川祐子氏も「コブタとコショウ」と訳している。

 星隆弘氏も「子豚とコショウ!」と訳された。

 藤井恵子(監訳)のデジタルBOOKでも「子ブタとコショウ」だった。

 2017年の安井泉氏の訳も「コブタとコショウ」。

 2018年発行の鴻巣友季子著『翻訳ってなんだろう?』の中に、柳瀬尚紀氏の訳題「豚ん坊と胡椒」は語尾で韻を踏んでいるという指摘があった。

 

�� …when suddenly a footman in livery came running out of the wood―(she considered him to be a footman because he was in livery: otherwise, judging by his face only, she would have called him a fish)―and rapped loudly at the door with his knuckles. It was opened by another footman in livery, with a round face, and large eyes like a frog;…

 

 サカナ顔の召使は普通に考えればサカナそのものではないはずだが、フシギの国ではどうだか分からない。

 また、もう一人もカエルそのものなのかどうかは判然としない。

 目がカエルみたいだと書かれているが、顔は丸顔(round face)と表現されている。

 テニエルのイラストではまんまカエルの顔だが、これなら単にカエルのような顔と言いそうな気がする。これを round face と表現できるのだろうか?

 目が頭のてっぺん近くに付いてもいるらしいし、皿が nose をかすめるという表現はカエルそのものの顔でもできなくはなさそうだが、さて。

 

��“There's no sort of use in knocking,”said the Footman,…

 

 英語のオーディオ・ブックには、召使が実にフォーマルな口調でしゃべっているものがあって、公爵夫人という、本来身分の高い人物の召使なのだから、その方がふさわしいかと思った。

 そうすると、召使のセリフはわけの分からないものではなくて、遠回しの慇懃無礼な物言いととれる。

 つまり、気持ちとしては、「本当に中に入る気かい。物好きだねえ。やめた方がいいと思うよ。ま、止めやしないけど」といったようなものなんだろう。

 アリスの身分をどう捉えたのかははっきりしないが、召使だから面と向かって人に助言することはせず(そう言えば上を向いているが)、自分ならこうしますが、という言い方になるんじゃないだろうか。

 アリスは子供なので、そのあたりの言葉の裏を察知できないという、ディスコミュニケーションの面白さかと思う。

 

「破壊屋」さんの「だれ映2012ベストテン」の記事の中の『ひみつのアッコちゃん』のコメントに「これ(アメリカ映画『ビッグ』のこと)は『不思議の国のアリス』と同じで、主人公の子供が大人の社会というファンタジーワールドを冒険する形になっている。うちらみんなが経験している仕事の世界が、子供の視点で見るとファンタジーになるのだ」とあって、なるほどと思った。

 

『フシギ』の登場人物たちはアリスをあまり子供扱いしないことなどから、「大人なのに子供のように振る舞う者たち」と捉えられがちだが、子供から見た大人の有様と言った方がいいのだろう。

 

�� …and every now and then a great crash, as if a dish or kettle had been broken to pieces.

 

 kettle はやかんも鍋も指すが、「粉々に砕けた」のだから金属製ではなくて焼き物なのかな。そうすると鍋の一種なのか、陶器の湯沸しなのか、どうなんだろう?

 

�� …the Duchess was sitting on a three-legged stool in the middle, nursing a baby: the cook was leaning over the fire, stirring a large cauldron which seemed to be full of soup.

 

 このコックは作品中最も異様な人物で、コックと言っても胡椒の効きすぎたとても飲めそうにないスープをかきまぜているだけ、しかも主人である公爵夫人やその赤ちゃんに向かって手当たり次第に物を投げつけるという凶暴さだ。

 赤ちゃんの泣き声がうるさいことによるヒステリーとしても、クロッケーの支度をしに部屋から出ていく公爵夫人の背中にフライパンを投げつけるなど(外れるが)、もうわけが分からない。もっともそれらを意に介さない公爵夫人の方がもっと上とも言えるが。

 

 また「コック」という訳は山形浩生氏も採用しているが、のちに she と出てくることからも女性なのだが、特に訳の上で断り書きがないため、氏の文庫本のイラストでは男のコックになっている。

 

�� The only two creaures in the kitchen, that did not sneeze, were the cook, and a large cat, which was lying on the hearth and grinning from ear to ear.

 

 grin はニヤニヤにしても、にっこりにしても、一般的には歯を見せて笑う仕草を意味していると思うが、テニエルのイラストではキッチンでのチェシャ猫は歯を見せていない。

 ear to ear と本文には書かれているが、ニヤニヤというより、ものすごくにっこりしているという感じなのかもしれない。

 大久保ゆう氏は「愛想たっぷり」「愛想よし」と独特の訳をしている(猫が消えたあとに残るのも愛想)。

 

�А�It's a Cheshire-Cat,”said the Duchess,…

 

 キングスレイ『水の子』第3章に grinning like a Cheshire cat のフレーズが出てくる。

 訳者の阿部知二氏(もしかしたら安部良雄氏)は「『ふしぎの国のアリス』に出てくるネコ」と注を入れているが、もともとある表現で、『フシギ』が出版されるのはこの作品より後だから、作品間の影響があるなら逆向き。

 実際かなりヒントにしている部分があるのではないかと思う。

 

 また、侯爵夫人の振る舞いは粗暴で、声はしわがれ声だが、口調はともかくとして、言葉遣い自体が汚いということはないんじゃないかと思ったが、どうなんだろう。

 

�─�I don't know of any that do,”Alice said very politely, feeling quite pleased to have got into a conversation.

 “You don't know much,”said the Duchess;“and that's a fact.”

 

 I don't know of と言うのは実際に会ったり見たりしていないだけでなく、聞いたり読んだりもしていないということで、言い方によってはそんなものはないだろうぐらいの意味にもなるようだ。

 ここではアリスは very politely に言ったということなので、気持ちとしては「たいていの猫が笑うなんてことはないだろう」と思いつつも、角が立たないように言葉を選んだ(でも、嘘とかおべんちゃらは言えない)ということだろう。

 でも、結果 I don't know というフレーズを繰り返したことで、You don't know much と言われてしまうわけだ。

 

��“Oh, there goes his precious nose!”…

 

 赤ちゃんがブタになってしまうのは、アリスのセリフが原因かもしれない。

「鼻がなくなる」なんて言ったから、本当になくなってしまったわけだ。

 もちろん普通に取れば伏線で、ジョークでもある。

 

�� It looked good-natured, she thought: still it had very long claws and a great many teeth, so she felt that it ought to be treated with respect.

 

 アリスはこの時にはもう、動物がしゃべれるということに疑いを持ってはいないようだ。

 

�� however, it only grinned a little wider.

 

「ニマーッと笑った」は、大西小生氏の訳の「にまッと笑った」から。

 

��“―so long as I get somewhere,”Alice added as an explanation.

 “Oh, you're sure to do that,”said the Cat,“if you only walk long enough.”

 

「かれらが森の中で道に迷ったならば、もちろん一か所に立ちどまっていてはならないばかりでなく、あちらこちらとさまよい歩いてはならぬ、絶えず同じ方角へとできるだけ真直ぐに歩くべきである。たとえ最初にかれらをしてこの方角を択ぶに至らしめたものがおそらく偶然のみであったにもせよ、薄弱な理由のゆえにこれを変えてはならない。なぜなら、このようにするならば、かれらの望む地点にうまく出られぬにしても、ついには少なくともどこかにたどりつくであろうし、それはたしかに森の中にたたずむよりもよかろうから。」(デカルト『方法序説』落合太郎訳)

 

��“In that direction,”the Cat said, waving its right paw round,“lives a Hatter: and in that direction,”waving the other paw,“lives a March Hare. Visit either you like: they're both mad.”

 

『水の子』第5章に as mad as a March hare のフレーズが出てくる。

 

��“To begin with,”said the Cat,“a dog's not mad. You grant that?”

 “I suppose so,”said Alice.

 

 ここで4章に登場した mad でない犬が論法の前提条件として出てくる。

 

��“Did you say‘pig',or‘fig'?”said the Cat.

 

 pig, fig の「ブタ」「ムダ」は、脇朋子氏が「豚」「むだ」、木下信一氏が「豚」「無駄」、さかのぼると丸山英観が「豚」「贅肉(むだ)」(アハハ!)と訳している。

 

 

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