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CHAPTER 1. DOWN THE RABBIT-HOLE
�� Down the Rabbit Hole
rabbit hole は兎の巣穴だが、「ウサギ穴」という言葉、言い方は『フシギ』の中の訳語として記される前にはなかったのかも。
�� ALICE was beginning to get very tired of sitting by her sister on the bank, and of having nothing to do: once or twice she had peeped into the book her sister was reading, but it had no pictures or conversations in it,“and what is the use of a book,”thought Alice,“without pictures or conversation?” So she was considering, in her own mind (as well as she could, for the hot day made her feel very sleepy and stupid), whether the pleasure of making a daisy-chain would be worth the trouble of getting up and picking the daisies,…
話の始まった時点でアリスはすでに考えこんでいて、そこまでのことが振り返って書かれている。『鏡』でも同じような始まり方になっている。
アリスは何もすることなく座っていることにうんざりしているが、立ち上がってヒナギクを摘むのも面倒で、その面倒に見合う楽しさがあるかどうかなどと考えている。 何をするのも面倒なほど、暑くて、眠くて、ぼうっとしている上、すでに夢の入り口で、考えがまとまらない状態になっていたのかもしれない。 今ではあまりにも有名だが、このお話が夢であることはもともとは最後に明かされることなので、読み直した時にそう思えるように書いたとも言える。
お姉さんの読んでいた本には挿絵も会話もないそうだが、アリスの考えによれば、ほぼ絵とセリフだけのマンガが一番役に立つ本ということになるだろうか。
いきなりうんざりから始まる童話もめずらしいんじゃないかと思ったが、宮垣弘氏によれば、そういった始まり方の童話は多いそうだ。
この始まりの時点で hot day と言っていて、夏であると思わせるし、お話の最後にもアリスが「夏の日」を思い出すだろうと書かれている。ところが物語中(6、7章)でアリスは「今は5月」であり「4日」であると言っている。イギリスの5月は寒いぐらいの方が普通のようだから、外枠は夏で、夢の中では5月4日(アリス・リドルの誕生日)といったところだろうか。ただし、そうすると11章の裁判の起訴状に all on summer day とあるのがおかしくなってくる。 また、続編の『鏡』の方は、冒頭の描写からガイ・フォークス・デイの前日、11月4日と見られているが、『フシギ』の話が同年の夏の日のことだったとすると、猫のキティの成長が早ぎるようだ。逆に5月からの半年後なら特におかしくはない。 そのこと自体は夢の中ではキティのことも5月の状態(まだ子供を産んでいない)で思い起こされているとすれば一応のつじつまは合う。 または『鏡』は翌年の話であるとか。 そうすると『鏡』の中でアリスが自分は「ちょうど7歳半」だと言っていることから『フシギ』でのアリスの年齢は6歳になってしまうが。 木下信一氏の考えによれば、『地下』の構想から発展させる段階で、あとから二つ目の日付(アリス・リドルの誕生日)をもぐりこませたゆえに起きた矛盾だろうということだ。 つまりはキャロルのちょっとした遊び以上のものではないだろうと。 また、『鏡』での「ちょうど7歳半」のセリフから、主人公のアリスの誕生日も5月4日だと導かれているが、『フシギ』の中ではアリスが自分の誕生日を意識している描写はなく、これもあとから付け加えた遊びだろう。 これは『フシギ』と違って『鏡』の外枠と夢の中の日付が同じであることが前提だが。
�� …a White Rabbit with pink eyes…
白ウサギなら目が赤いのは当然なので、「赤い目の」とすると強調しすぎになる気もしたが、「ピンク色の」としてもピンクを強調しすぎるような気がした。 目の色の表現そのものとしては、どちらでも特に不自然とは感じないが。
�� …for it flashed across her mind that she had never before seen a rabbit with either a waistcoat-pocket, or a watch to take out of it,…
アリスはウサギがチョッキを着ていることを、ウサギがポケットから時計を取り出すまで不思議に思っていなかったようだ。
�� …and was just in time to see it pop down a large rabbit-hole under the hedge. In another moment down went Alice after it, never once considering how in the world she was to get out again.
ウサギの巣穴のある生け垣は、三谷康之氏の『童話の国イギリス』によると、イギリスの田舎ではありふれた風景ということで、誰かの家の庭囲いがあったわけではないそうだ。 子供が入っていけるような大きな巣穴は実際にあるのかどうか。
キャロルは新味のあるお伽噺をひねり出そうとして苦しんだあげくに主人公アリスをともかくも兎の穴へ真っ逆さまに落としてみたのだそうで、後先考えずにウサギの穴へというのは作者も主人公も同じ。
�Α函�yes, that's about the right distance―but then I wonder what Latitude or Longitude I've got to?”
地球の重心に向かって落ちているので、経度と地心緯度は変わらないが、地理緯度(一般的な緯度)はずれていく。 緯度にはほかにもさまざまな求め方によるものがあるそうな。 でも、平成14年(2002年)4月1日に日本の緯度と経度が変わったなんて知らなかった。
�А函�How funny it'll seem to come out among the people that walk with their heads downwards! The antipathies, I think―”
antipathies は antipodes の言い間違いということになっている。 antipathies は「反感」だが antipodes はどう捉えればいいだろうか。 最も普通に用いられるのは地球上の正反対の地点(日本に対するブラジル、など)という意味で、日本語では「対蹠地、対蹠点」などと言う。 でも、アリスの台詞を見ると、the people that walk with their heads downwards つまり「人々」を指しているようだ。 antipodes は、大地が平らなものと思われていた頃、地面の裏側に住む幻想上の怪物的な生き物のことを指して使われ、「対蹠人」という訳語が当てられていたりもする。 現代でも正反対の人という意味で「対蹠人」という言葉が使われるようだが、antipodes も「対蹠人」も、「地理的な対蹠地に住んでいる人々」の意味では、つまり「日本人の対蹠人(antipodes)はブラジル人である」というようには使われていないんじゃないだろうか。 そうすると言い間違いをしなかったとしても、アリスは非科学的な発言をしていた(それ以前に地球を突き抜けるというのが突拍子もないのだが)、つまり正解を言っていたとしても、それは本当は正解ではないことになる。「対蹠地、対蹠点」という意味に取ればまた別だが。 また、アリスが実際にたどり着くのが、言いたかった「対蹠人」(あるいは「対蹠地、対蹠点」)の方ではなく、言い間違いの方の「反感」を感じる人物、動物たちのところだというおもしろさもある。 後の展開の伏線、あるいはその展開と結びつくジョークと取れるが、自分が夢を見た時の、あることからの連想でどんどん展開が変わっていってしまう様子にも似ている気がした。 アリスが言い間違えたからそのような展開になったのかもしれない、という感覚だ。 このあともこういった伏線はいくつか出てくる。 タイヤキに関しては、フシギの国なら焼かれた鯛かタイヤのなる木が出てくるだろう、というのは後から考えたこじつけ。
「対蹠」の読み方は本来は「タイセキ」で、慣用読みが「タイショ」ということだが、辞書によっては見出しが「タイショ」の方しか載っていなかったり、両方載っていても意味が書いてあるのは「タイショ」の方だったりする。 日常会話で使われる言葉というわけでもないのだから、「慣用」の方をを主にすることはないんじゃないかと思うが。
�� She felt that she was dozing off, and had just begun to dream that she was walking hand in hand with Dinah, and saying to her, very earnestly,“Now, Dinah, tell me the truth: did you ever eat a bat?”, when suddenly, thump! thump! down she came upon a heap of sticks and dry leaves, and the fall was over.
夢の中の夢というわけだが、まだそうと知らない読者にはここまでのことが、そしてこれからのことも夢ではないと思わせる効果を持っている。もっとも今ではそんな読者はほとんど存在しないだろうが。
��“and even if my head would go through,”thought poor Alice,“it would be of very little use without my shoulders.…”
通路は鼠の穴よりさほど広くもないのによくそこまで考えられると思う。
�� DRINK ME と EAT ME
アーサー・ビナード氏はメアリー・ブレア画のディズニー絵本『ふしぎの国のアリス』の訳で「のみな!」↔「のむな!」、「たべな!」↔「たべるな!」と対比させる訳をしていた。
�� …when she got to the door, she found she had forgotten the little golden key,…
アリスは一度開けた扉のカギをどうしてまた閉めてしまったんだろう。まさかのオートロック、と思ったら、『子供部屋』では一度目に鍵をかけ直してテーブルに置く描写が付け加わっていた(二度目はない)。お行儀がいいのだな。 当時のカギはよく分からないが、今ならそもそも外に出ていくのに鍵が必要だ、というのもあまりない(でも、脱出ゲームはみんなそうだ)。
�� she was now only ten inches high, and her face brightened up at the thought that she was now the right size for going through the little door into that lovely garden.
通路は鼠穴よりさほど広くなかったはずだが、25センチぐらいの背たけでちょうどいいということで、高さはあったらしい。 7章では30センチぐらい(about a foot high)で通り抜けている。
�� …and once she remembered trying to box her own ears for having cheated herself in a game of croquet she was playing against herself, for this curious child was very fond of pretending to be two people.
curious は「珍しい、奇妙な、不思議な」といった意味で使われる場合と、「好奇心の強い、詮索好きな、物見高い」といった意味で使われる場合がある。 ここはアリスのちょっと変わった振る舞いを述べているところなので、ほとんどの訳は前者の意味に取っているが、「好奇心旺盛」というのもアリスの場合には当てはまる感じだ。 Curious George(『人まね小猿』/『おさるのジョージ』)の curious は「好奇心の強い」だと『翻訳問答』(片岡義男、鴻巣友季子)にあった。
別宮貞徳氏は『「不思議の国のアリス」を英語で読む』の中で、「ただし、ここで『二人ごっこ』というのはおかしいでしょう。そんな『ごっこ』は聞いたことがありません」とおっしゃっているが、「一人二役」だと「アリスとアリス以外の別の誰か」といった感じがする。でも、実際にはアリス自身が二人になる感じだし、「二人のふり」だと「誰かにそのように見せかける」といった感じがする。でも、もちろん一人遊びだ。「二人のつもりになる」はどうだろう。でも、「つもりになる」のがつまり「ごっこ遊び」だから、何でも「ごっこ」を付けてしまえば「〜のつもりになる遊び」とは分かると思うので、「二人ごっこ」としてしまっても別に構わないんじゃないだろうか。
また、croquet は実際の発音は「クローケー」の方が近いが、日本での競技としての表記は「クロッケー」とされているようなので、そちらで統一した。
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